日本人が作った歴史、日本人移民100周年。

2009/09/12

日系ブラジル人はブラジルに移民としてブラジル国に渡った日本人の子孫です。

ブラジルは世界最大の日系人居住地と言われていて、現在約150万人以上の日系人が住んでいる。

その移民は1908年に始まて、2008年にブラジルの日本人移民が100周年を迎えた。

昔ブラジルはコーヒー農園がメインだった為、アフリカ大陸から送り込まれる奴隷をコーヒー農園に農業労働者として重用していた。ただし、1888年に奴隷制度廃止された。

その為農業労働者が不足することになリ初めて、他国の移民を受け入れ始めた。ただし、イタリア人移民労働者は、奴隷と変わらない住環境や労働の過酷さ、賃金の悪さなどのに反乱をおこして、移民が中止され、再び農業労働者が不足することになった。

労働者不足を解消する為、ブラジル政府は1892年に日本人移民を受け入れ始めると表明した。日本とブラジルの間に正式な外交関係が無かった為、日本から移民を送り出すことができなかった。

その後、1894年に「殖民協会」の根本正がブラジルへ赴き、ブラジルが日本人移民にとって適切な移民先と報告を行った。そして1895年には日本とブラジルが「日伯修好通商航海条約」を結び、1897年にリオ・デ・ジャネイロ州ペトロポリスに日本の公使館が設けられた。

ただし、日本の外務省は以前に起きたイタリア人移民の事案を根拠に、ブラジルへの移民を送り出すことを躊躇していた。

その後1904年に起きた日露戦争に経済は混乱し、農村の貧しさが深刻になっていた。そしてその後アメリカ政府は日本人移民の受け入れる人数の制限を強化したことや、更にオーストラリアやカナダも日本人移民の受け入れを制限した。

日本政府は新たな移民の受け入れ先を模索することとなった。

1908年に、移民会社「皇国殖民会社」が設立されて、同年にブラジルへの移民を募集。1900年当初の小学校教員の初月給が10円から13円という時代に、移民募集案内書には「移民は少なくとも一日に総収入1円50銭以上を獲得出来る。」と宣伝されていたのです。家族三人で働けば一年で最低でも千円以上をためることができる計算した人は少なくなかった。

そして1908年4月28日に791人の移民が東洋汽船「笠戸丸」に神戸港を出港してシンガポールや南アフリカを経由して6月18日にサンパウロ州のサントス港に到着した。


  • 参考文献: ウィキペディア


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